「命がけ」というと、どんなイメージをするだろうか?
大辞林によると「生命を捨ててもよい覚悟で事にあたること。」とある。
悲壮だ。
友達に「命がけでやってみろよ!」なんて言えても、
「生命を捨ててもよい覚悟で事にあたってみろよ!」なんて言えない。
この平和な日本においては「命がけ」といっても、
「ものすごく一生懸命」
くらいのイメージしか浮かばないのではなかろうか?
それにしても漠然と使われすぎているこの「命がけ」という言葉に、
ぼくはあたらしい解釈を試みてみたい。
そもそも「生命を捨ててもよい覚悟」であたってもよい事って一体なんだ?
命をかけられるほど大切なことがあるなら、やっぱり死んではいけないと思ってしまう。
どうやら「命がけ」という言葉の前には、(たとえ)という言葉が隠れているらしいのである。
そんな曖昧な命のかけ方でいいのだろうか?軽くないか?命!
なんてことをぼんやり考えていたら、自分なりに「命がけ」の意味がぱーっと開けた。
「命がけ」というのは、なにも死んでしまうほどがんばるってことじゃない。
ただ、「ほんとうに好きなことをする」っていう意味なんだ。
どんなにマイペースでもほんとうに好きなことをやってるんなら命がけなのだ。
ぼくが今日死んでしまったとする。悲しいけど、素晴らしい人生だったと思う。
好きでもないことをして生きている人は、死んでしまったらどう思うだろう。
もう一回やり直したいと思うんじゃないだろうか?
その人生は「命がけ」ではなかったのだ。
甲本ヒロトが、「生きるという事に 命をかけてみたい」とうたっていたのを、
中学生のぼくはなんとなくかっこいいなーと思っていたけど、
ほんとうはそういう意味だったんじゃないだろうかと、今頃気がついたぼくだったのでした。
nelcoは命、かけてます!長生きしそうだけど・・・。
(2006年9月22日 平井正也)
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