第3回 「命がけ論」

「命がけ」というと、どんなイメージをするだろうか?
大辞林によると「生命を捨ててもよい覚悟で事にあたること。」とある。
悲壮だ。
友達に「命がけでやってみろよ!」なんて言えても、
「生命を捨ててもよい覚悟で事にあたってみろよ!」なんて言えない。
この平和な日本においては「命がけ」といっても、
「ものすごく一生懸命」
くらいのイメージしか浮かばないのではなかろうか?
それにしても漠然と使われすぎているこの「命がけ」という言葉に、
ぼくはあたらしい解釈を試みてみたい。

そもそも「生命を捨ててもよい覚悟」であたってもよい事って一体なんだ?
命をかけられるほど大切なことがあるなら、やっぱり死んではいけないと思ってしまう。
どうやら「命がけ」という言葉の前には、(たとえ)という言葉が隠れているらしいのである。

そんな曖昧な命のかけ方でいいのだろうか?軽くないか?命!
なんてことをぼんやり考えていたら、自分なりに「命がけ」の意味がぱーっと開けた。

「命がけ」というのは、なにも死んでしまうほどがんばるってことじゃない。
ただ、「ほんとうに好きなことをする」っていう意味なんだ。
どんなにマイペースでもほんとうに好きなことをやってるんなら命がけなのだ。
ぼくが今日死んでしまったとする。悲しいけど、素晴らしい人生だったと思う。
好きでもないことをして生きている人は、死んでしまったらどう思うだろう。
もう一回やり直したいと思うんじゃないだろうか?
その人生は「命がけ」ではなかったのだ。

甲本ヒロトが、「生きるという事に 命をかけてみたい」とうたっていたのを、
中学生のぼくはなんとなくかっこいいなーと思っていたけど、
ほんとうはそういう意味だったんじゃないだろうかと、今頃気がついたぼくだったのでした。

nelcoは命、かけてます!長生きしそうだけど・・・。

(2006年9月22日 平井正也)

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