夜中におなかが痛くて目が覚めることがごく稀にある。
一度眠るとめったなことでは起きないぼくが、観念してトイレに入るほどの痛さなのだから、尋常ではない。
これは実は「糞の霊」の仕業なのである。
いわゆる便意をもよおした場合とは異なって、肛門と玉をつなぐ線の真ん中あたりにツンとした痛みが走る。このあたりは、なにか霊的な部位なのではないかと思われる。
便座に腰を下ろしても、糞は出てこない。出てこないとわかっていても
ズボンをおろして待つ。いや出ていないわけではない。まさにその瞬間、肛門から「糞の霊」がぬけているのだ。
この「糞の霊」は布団の中でじっとしていても決してぬけることはない。
きちんとトイレに座って、こころを穏やかにしていれば自然と浄化されるものである。霊がぬけているとき、なぜか謙虚な心持になったり、妙に頭が冴えて様々なインスピレーションが浮かぶことがある。
実は昨夜も「糞の霊」に憑かれて、その時この「平井民俗学」のアイデアが浮かんだのです。
いままでただ漠然と霊の仕業だときめつけていましたが、「糞の霊」の正体はいったい何なのでしょう?
消化されなかった食べ物の怨念でしょうか?
ぼくはこんな仮説を立ててみました。
つまり、何かの「念」がこころに浮かんだとき、言葉にして誰かに伝えたり、実際に行動に移したりします。けれども発散することができずにいる「念」というものも、たくさんあると思うのです。
そういう念は、一体どこへ行くのでしょう?形がないからといって、いくらだって溜めておけるわけではありません。それにおもてに出せないような念なので、あまり素敵なものではありません。たとえば「不安」とか「嫉妬」だったりするので、よけい体に留めておくのはよくないわけです。
こういうものがたまって「糞の霊」になります。ほんとうは「霊の糞」といったほうが正確かもしれません。
医学的に調べたらどこか悪いだけなのかもしれませんが、平井民俗学的にはこうして「糞の霊」の仕業でかたづけられるわけです。
実際ぼくはとても臆病で、嫉妬深い人間だと思います。「糞の霊」が出るたびに反省して、すっきりしたらまた布団にもぐりこむというわけです。
(2006年1月2日 平井正也)
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